いつまでたっても、ファンクラバーのなれのはて……
そうなのかもしれません。
ふりかえってみれば、音楽聴くのが”性”ってくらい、暮しのど真ん中を貫いていました。
洋楽情報雑誌のマガイモノみたいなものをつくりはじめたのが、中学生の時。
Billboard、アーティストのファンクラブのパーティー、FENがたよりでした。
やがて自らGYPSY、そしてSpanky & Our Gangなどのファンクラブをいとなむようになって、ギョーカイのアレヤコレヤを識り。
新宿歌舞伎町のジャズ・クラブPONYを棲み家として、クロスオーヴァー音楽誌”RAINBOW”をつくったのが、大学生。
いうのもいやらしいですが、つくったそばからもっていかれたものです……なんてったってただですから。
まァ、大学生活自体、クラブで音楽番組作りにいそしむのが第一義。WASEDAのホーガクブで学んでいたのですが、私が学んでいたのはヨーガクブなんて、なんというか浮かれていましたね。
んでもって、ORICONへ。
業界誌編集を経て、オリコンウィークリーの編集長をつとめた後、フリーランスのエディター兼音楽物書人となりすましたしだい。
いくつかべつの音楽誌をつくるいっぽう、いろいろな類の物を書いたり、FM・AM・TVとかでしゃべったり。
一時世の中で一番物を書いているんじゃないかと思ったくらい、日々文を認めまくっていたものです……”質”はともあれ、あくまでも”量”として、ですが。
インタヴューをしたアーティストも、洋楽系500人の、邦楽系2,000人、合わせておよそ2,500人くらいでしょうか、逢いたおしました。ホントにもーそんなにも人が愛おしかったのかと。
やがてそのかたわら、音楽系専門学校のTOHOGAKUENで、ジャズ、ロック、ソウル、つまりいわゆるポップ・ミュージックのヒストリーなるものを講ずるようになります。
それってまず私の得意業でしたから、かるくいなしてと思っていたら、まったくもってそうはならず。ポップ・ミュージックのタイム・トラヴェラーとして、どんどんどんどん深みにはまるしまつ。果てはそれをワールドミュージックのフィールドにまで結びつけていってしまうはめに。
教えるというよりも、むしろ学ぶのが楽しいという、あらたなる”ドーピング”にとらわれ、今にいたります。
そんな楽しみを共に感じられたら……と思い、
このほどよみうりカルチャーで”ポップ・ミュージック・ヒストリー”を講ずることになりました。
講義の学舎は、町田。時は、隔週木曜日の夜、または日曜日の午前中。とりあえずそれぞれ6回ずつですが、終わった後どうなるかは集まった人しだい。続く限り楽しもうかと。
29年間講じつづけているポピュラー・ミュージック・ヒストリー、ワールドミュージック、インターネット・ミュージックなどをクロスオーヴァーしたものがカリキュラムのベースになります。ジャズ・ロック・ソウル、ポップ・ミュージックを、これまでよりもぐっとグローバルに、ソーシャルに、エコノミカルに、そしてスピリチュアルに深くとらえてまいります。わかりやすく、楽しめながら、アカデミック……そんなものになるように。いずれ、なんかミュージック・カルチャーの発信地としてサロンふうに育っていけばとも思っています。
くわしくは、コチラで。 YOMIURI CULTURE MACHIDA (click! で、リンク)